植村直己の経歴高校大学は?結婚や家族についてや最後の謎とは?

植村直己さんは偉大な冒険家として世界的にも評価され
登山家にとっては伝説的な存在でもあります。
今は亡き植村さんですが、

来週放送のテレビ番組「先人たちの底力 知恵泉」に
植村直己さんについて特集されるので
是非チェックしたいですね!

そこで今回は植村直己さんの経歴や結婚について
最後の謎とは?一体なんだったのか?
チェックしていきたいと思います。

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目次

植村直己の経歴について

植村直己 プロフィール

名前:植村直己(うえむらなおみ)
生年月日:1941年2月13日
出身地:兵庫県

植村直己は兵庫県城崎郡日高町で生まれました。
高校兵庫県立豊岡高等学校を卒業していて
登山家になったきっかけになったのが
学校行事で蘇武岳に行った事でそれから山が好きになったようです。

大学明治大学農産製造学科を卒業されていて
進学してからは山岳部に所属し登山に明け暮れたようです。
私の学校には山岳部というものがなかったので
どういった活動をするのかかなり気になります!

最近では様々な冒険家の方が
テレビなどで活躍されていますが
軽い気持ちで冒険家になる人なんていませんし、
本気で冒険家になるには
学生時代の時から沢山経験を積んでおく必要がありそうですね。

まずは体力をつける事が大切だと思うので
植村さんは学生時代に沢山の経験を積まれたようです。

植村さんは大陸最高峰の西欧最高峰の
モンブランという山に登ったことでも有名で、
標高は4810メートルという高さがあります。

4810とか高すぎて想像もつきませんよねw
想像しただけで息苦しくなりますが、
この高さを聞いたら植村さんの凄さがわかりますね。

植村直己さんの性格について

植村直己さんが一体どういった人物だったのか?
すごい気になりますが、冒険家と聞くと、毎日無茶しまくりで
いつ命を落としてもおかしくないようなイメージがありますよね?

命の危険とはいつも隣合わせだったのは間違いありませんが
植村直己さんは学生時代からかなり頭が良くて
登山の際もかなり考えて行動していたそうです。

登山は体力だけでなく、
頭をかなり使うことでも知られています。
確かに、何も考えずに行動すれば
何が起こるかわりません・・・
怖い世界ですが男のロマンがあります。
私達が経験したことがないような達成感が待っているんでしょうね。

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植村直己は結婚している?

植村直己さんは実は結婚されていて
結婚したのが1974年5月に植村さんが33歳の時で
奥さんは、植村公子(うえむらきみこ)さんという方で
植村直己さんよりも少し年上で
姉さん女房と言った感じでしょうか?

植村直己さんの冒険家とての活動が多忙な事から
一緒に過ごした結婚生活は体感的に5,6年くらいだったと
公子さんは語っておられます。

忙しい直己さんの事を公子さんは
一緒にいることが出来なくても
毎日支えていたんでしょうね。

植村直己さんと公子さんの間には子供はいないので
もしかしたら公子さんは寂しい日もあったかと思いますが、
信じて直己さんの帰りを待っていたんだと思います。

公子さんは現在も元気で
植村直己さんが行方不明になってからも
再婚はされていないようです。

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植村直己の最後の謎とは?

植村直己さんは
植村直己さんの最後の登頂となったのが
世界最高峰の山と言われるマッキンリーです。

行方不明になった詳細について諸説あり、
最後の謎としてネットでは様々な声が上がっています。

山頂には日の丸の旗が刺さっていて
最終キャンプ地には植村さんの装備道具が置いてあったことから
キャンプ地に戻る途中で悪天候に見舞われ
遭難したという可能性が高いようです。

植村さんの姿が確認されることはありませんでしたが、
植村さんは冒険家として伝説的な存在として
今も知られています。

最後に

今回は植村直己さんについてピックアップしましたが
5月8日放送の「先人たちの底力 知恵泉」に
植村直己さんの特集があるので
ぜひチェックしましょう!!

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